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三重県立美術館のコレクション探訪 中村彜《婦人像》

吉田映子
 
 当館所蔵の《婦人像》が描かれた大正11(1922)年頃、作者・中村彜は、親友の中原悌二郎を亡くし、自身も遺書をしたため、転地療養すらままならないで多くの時間を病床で過ごしていた。

 病がわずかでも快復するのを待っては、少しずつ制作を進めていた彜にとって、外へ写生に出かけることはおろか、モデルを家に呼ぶことすら難しい状況であったようだ。このような状況を背景として、この肖像は、D'apres photographie、すなわち写真にもとづいて描かれたということが、画家自らの書き込みで明らかとなっている。

 額の産毛あたりの柔らかな質感や、血色の良い桃色の頬には、画家が信奉していたルノワールの影響が強く表れている。また、着物の縞模様や毛髪を描く、流れるような長い筆跡、壁紙の模様を表す、跳ねるような筆致に躍動感がある。ところが、そうした生き生きとした色彩と質感に比して、女性の眼差しは虚ろで生気がなく、全体としてどこかちぐはぐな印象を与える。

 「毎晩々々制作の幻想に苦しみます。(中略)思ひに疲れて身体が疲れきっても猶心だけは欲望に燃えるばかりなので閉口です。」[大正9年9月4日 伊原彌生宛書状]

 湧き出て来る構想に体がついていかないもどかしさをこのように吐露する彜にとって、写真に基づいた制作もまた、病身という制約以上の重要な企図を担っていたのではないだろうか。すぐそばに控える死を感じながら「生命の芸術」を探求し続けた画家の、葛藤のなかでの制作が垣間見える一点である。

(友の会だより95号、2014年7月31日発行)

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