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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 唐箕 (とうみ )

唐箕 (とうみ )

資料名 唐箕(とうみ) 寸 法 長さ 154.3センチ(5尺1寸)
幅   66.8センチ(2尺2寸)
高さ 134.0センチ(4尺4寸)
資料番号 990
時 代 昭和時代
解 説


 今年も台風シーズンの二百十日がやってきた。台風がくるといろんな所で被害がおこります。かつて農家では稲が実る時期に当たることから台風の襲来を最も恐れていました。そのため、伊勢湾台風からのちは、収穫時期の早い稲作栽培にかわっていきました。きょう、田んぼの作業を車窓から見ていると夕方にはコンバインで刈り取った跡の切り株が残っていました。黄色に実をつけた稲穂も機械で数日の間に刈り取られてしまいます。農家の一大事業であった稲刈りも機械化が進んで人手を要することが少なくなりました。
 機械化以前の農作業の中で、江戸時代に中国から伝えられたといわれる「唐箕(とうみ)」は、すばやく大量に稲穂の選別ができる画期的な機械として登場しました。そして、広く全国の農家の人たちに重宝されたことでしょう。現在でも「種もみ」を取るときに使ったりします。また、かつて農業を営んでいた家には、必ずといってよいほど「唐箕」が納屋や倉庫に残っていて、なかなか処分できないのでに困っているようです。
 写真の「唐箕」は、送風機のある胴の柱に墨書で縦に「昭和三年六月上旬」「雲出大字本郷 丸山兵助 所有」とあって、現在の津市内で使われていたことがわかる資料です。また、受け皿になる漏斗(ろうと)部の下に真鍮(しんちゅう)製のプレート(280ミリ×450ミリ)がついていて、この「唐箕」の来歴を知ることができます。
 真鍮のプレートには

        新案特許
  第八八〇二七    第三九一三六
   原田式       宮崎式
  穀器   加減器    取組改良
        唐  箕
     岡山縣後月郡木ノ子驛前
    ■■利者    片岡吾助

 と記載されています。(現物は、右書きで、「■」は判読不明の文字です。写真参照)

 この農具は、岡山県で製造されたものであることがわかります。ところが、この時期に津市内にも「唐箕」を製造販売している「唐箕屋(とうみや)」という店がありました。この店は、江戸時代末期から津市栄町に店を構えて、安濃郡(あのうぐん)や安芸郡(あげぐん)の農家に販売していました。釘や金具を使わない製品で「重蔵亀の唐箕」の商標で広く知られています。「唐箕屋」は、昭和30年代を最後に土臼や唐箕の製造をやめてしまいました。しかし、工具を取り扱う店として現在も営業を続けています。屋号も「とうみや」を踏襲しています。
 唐箕の使用方法は、次のとおりです。穀物(稲穂など)を唐箕の漏斗部に流し入れて下に送ります。穀物は、落下して送風機からくる風で選別胴を流れる間に重い穀物は手前の一番口から外に吹き飛ばされます。そして、やや重いものは二番口に、軽いものやわらクズなどは三番口から外に吹き飛ばされます。このように大量の穀物を簡単に選別できることから、県下でも江戸時代末期には使われていたことが知られています。
(FW)

 ※ 岡山縣後月郡木ノ子 ・・・ 現在の岡山県井原市木ノ子町

唐箕(側面)
唐箕(前から)  墨書
プレート
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