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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 東海道分間絵図(とうかいどうぶんげんえず)

東海道分間絵図(とうかいどうぶんげんえず)

資料名 東海道分間絵図
(とうかいどうぶんげんえず)
資料番号 874
時 代 江戸時代 寸 法 たて:  29.0cm
解 説

 慶長6(1601)年、江戸幕府によって東海道五十三次の宿場が定められ、つづいて日本橋を起点とする一里塚が設けられるなど街道施設の整備が進むと、東海道は江戸と上方を結ぶ陸上交通の大動脈として五街道中、最も重要な役割を果たすようになりました。参勤交代の大名や商人・庶民・飛脚など多くの旅人が行き来した東海道の姿は、数多くの絵図や浮世絵に描かれています。
 「東海道分間絵図」は、遠近道印(おちこちどういん)が作製し、菱川師宣(ひしかわもろのぶ)が描いた絵地図で、元禄3(1690)年の刊行以降、数回出版され、一般には江戸(現在の東京)から京(現在の京都)までの東海道の様子を折本(おりほん)五帖(ちょう)に納めたものが流布しています。
 当館の「東海道分間絵図」は、折本の絵図とほとんど同じ内容ですが、肉筆できわめて丁寧な彩色が施され、1本の太い巻物に仕立てられています。年代の表記がないため、正確な制作時期はわかりませんが、折本の絵図を元に描かれたものと考えられています。絵図全体の縮尺は、約12,000分の1で、大きく強調された街道の屈曲状況や両側の風景・家並み・寺社・一里塚・川・橋・船・草木などに加えて、街道を行き来する人や馬が、実に丹念に描かれています。また、五十三次の宿場名をだ円形の黒色地に黄色の文字で表して目立たせ、街道筋の村名をだいだい色地に墨書で表記するとともに、要所要所に方位や距離・枝道を書き込んで旅の絵地図としての利便が図られています。
 長い絵地図の中に、県内では桑名から鈴鹿峠までの東海道の様子が収録されています。桑名では、海に突き出すように桑名城が描かれ、熱田の宮との間の七里の渡しの海上には、朱や緑の鮮やかな幔幕(まんまく)・吹き流しなどで飾られ、18丁の櫓を備えた大形の御座船や大きな白い帆に追い風をいっぱいに受けて進む船、旅人や物資を運ぶ小型の船などが配されています。四日市・石薬師・庄野・亀山の順に京へ向かう街道沿いには松並木や民家がつづき、その中を旅姿の武士や僧侶、庶民などが街道を歩んでいます。亀山と関の間には、挟み箱・毛槍を先頭に鉄砲隊・弓隊以下、参勤交代の長い隊列を組んだ大名行列が江戸に向かって歩みを進めています。また、鈴鹿峠付近は周囲に折り重なる山々が連なる様子が描かれ、旅人もまれな険しい峠道の雰囲気がよく伝わってきます。
 このように「東海道分間絵図」は、江戸時代の東海道やその周辺の様子、また大名から庶民に至るまでのさまざまな人々の旅の風俗をビジュアルに知ることができる貴重な資料のひとつです。(SG)

東海道分間絵図(宮(現在の熱田神宮)付近)
宮(現在の熱田神宮)付近
東海道分間絵図(桑名付近)
桑名付近
東海道分間絵図(亀山付近)
亀山付近
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