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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 「伊勢国桑名城図」

「伊勢国桑名城図」

資料名 伊勢国桑名城図
(いせのくにくわなじょうず)
資料番号 281
寸 法  たて:  288ミリ
 よこ:1,240ミリ
(桑名城部分は、よこ670ミリ)
時  代 江戸時代
解 説

 当館には、桑名城の絵図が2種類あります。この絵図は、そのうちのひとつですが、関ヶ原の合戦に際して、石田三成(いしだみつなり)の西軍について敗れ、桑名城にろう城した城主・氏家内膳正(うじいえないぜんのしょう)(行広・ゆきひろ)とその弟・志摩守(しまのかみ)(行継・ゆきつぐ)、寺西備中守(てらにしびっちゅうのかみ)(信乗・のぶのり)に対する城攻めの様子を表した図となっている点が、ほかの桑名城絵図と異なる特色となっています。寄せては、徳川家康(とくがわいえやす)の東軍方についた長島城(城主は、福島正則(ふくしままさのり)の弟・政頼(まさより))から出撃してきた山岡道阿弥(やまおかどうあみ)(影友・かげとも)です。
 絵図では、朱色で寄せ手とその攻撃経路、黒色で守備兵が表現(絵図中の注記は、逆になっています。)されていますが、実際には桑名城は降伏・開城していて、城攻めが行われた事実はありません。また、城の絵図自体も近世の松平時代の桑名城絵図と同等のレイアウトで、氏家時代のものとは考えられず、江戸時代に当時の状況を想像して描いたものと思われます。
 なお、この絵図は2紙からなっていて、この桑名城絵図の次に同じく関ヶ原の合戦に際する豊前国(ぶぜんのくに)小倉城攻めの絵図が描かれています。
 どのような経緯でこのような城攻めの絵図が描かれたのか、興味のある課題といえそうです。  (A)

伊勢国桑名城図
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