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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 古安東 色絵草花文手鉢(こあんとう いろえそうかもんてばち)

古安東 色絵草花文手鉢(こあんとう いろえそうかもんてばち)

色絵草花文手鉢
色絵草花文手鉢



内面の色絵
内面の色絵



窯印(かまじるし)
窯印(かまじるし)
資料名 古安東 色絵草花文手鉢
資料番号 164
時代 江戸時代
寸法 たて:19.0cm
よこ:16.0cm
解説 江戸時代の中ごろ、桑名の豪商・沼波弄山(ぬなみ ろうざん)が、朝明郡小向(おぶけ)村(現在の三重郡朝日町小向)ではじめた萬古(ばんこ)焼(古萬古(こばんこ))は、当代一流の優れた茶陶(ちゃとう)として江戸で大変な人気を博していました。これにやや遅れて、藤堂藩は寛保(かんぽう)年間(1741から1744)に、弄山の弟子・瑞牙(ずいが)を招き、津城下の西方の安東(あんとう)村(現在の津市長岡町付近)に窯を開いて茶陶などを焼き始めました。その作品は、窯の所在地名をとって安東焼(あんとうやき)と称され、「安東」の窯印(かまじるし)が捺されましたが、初期の安東焼の操業期間は短く、幕末に再興された安東焼と区別して、特に「古安東」と呼ばれています。
当時、安東焼の創始者である瑞牙は、小向と安東の両所で作陶活動を行っていて、朝日町の小向神社に伝わる県指定有形文化財の陶製神酒徳利(とうせいみきとっくり)7対(つい)の中に瑞牙が作った古萬古の酒器が残っています。古萬古の優れた陶工(とうこう)であった瑞牙と藤堂藩主の用人(ようにん)であったむ服部十左衛門(はっとりじゅうざえもん)が絵師として絵付(えつけ)を担当した古安東の作品には、古萬古に共通する作風が色濃く見られますが、絵付の題材に花鳥を多用したり、素焼きの素地(きじ)の一部のみに絵付するものや彫り文様など、独自の優れた技法もみられます。
今回、ご紹介する「色絵草花文手鉢」は、伝来する数少ない古安東の作品の一つです。腰が強く張る深い鉢の口縁部(こうえんぶ)をややひずませて釣り手(つりて)を付けた直径16cmの手鉢で、底部のみに赤・緑・青・黄色などに発色する釉薬(ゆうやく)を用いて草花の花弁や葉・茎などの絵文様が描かれています。暗褐色の沈んだ器の表面と部分的に描かれた鮮やかな草花文(そうかもん)の対照がかなり印象的で、古安東特有の趣(おもむき)をよく示しています。
このように藤堂藩の支援のもとで、古萬古の流れをくみつつ独自の意匠・技法を加えて焼かれた古安東は、同藩がほかに誇る名産に数えられ、当時の伊勢を代表する焼き物のひとつとなりましたが、その操業は瑞牙1代で終わったとされています。その後、100年ほどが経過した幕末に、藩の命を受けた商人・倉田久八(くらたきゅうはち)が安東焼を本格的に再興し、その流れが阿漕焼(あこぎやき)へとつながっていきます。(SG)
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