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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > かたびら

かたびら

資料名 かたびら 資料番号 1049
時 代 江戸時代
天保11(1840)年
寸 法 タテ:53.0センチ
ヨコ:35.0センチ
解 説

 かたびらは、巡礼者が着物の上に羽織る袖のない衣のことで、「笈摺(おいずる・おいずり)とも呼ばれます。修行僧が仏像や経巻を入れるために背負った脚と開き戸付きの箱(「笈(おい)」といいます)が、肩にすれて着物がすり切れるのを防ぐために羽織った衣に由来するものといわれています。
 写真の資料は、西国三十三所巡礼(さいごくさんじゅうさんしょじゅんれい)の巡礼者が用いた「かたびら」です。三幅(さんぷく)に分かれた背面に「天保十一子年 同行二十七人  奉納西国卅三所順禮  勢州多気郡佐奈谷五桂村(てんぽうじゅういちねのとし どうぎょうにじゅうななにん  ほうのうさいごくさんじゅうさんしょじゅんれい  せしゅうたきぐんさなだにごかつらむら)」と記されていて、江戸時代の天保11(1840)年に伊勢国多気郡の五桂村(現在の多気郡多気町五桂)から同行27人で西国三十三所巡礼に向かった巡礼者が身にまとったものであることがわかります。この一行は、五桂村から熊野古道伊勢路(くまのこどういせじ)を通って巡礼に旅立ったと伝えられています。「奉納西国卅三所順禮」と記されている中央部には、札所(ふだしょ)となっていた寺院の朱印(しゅいん・「宝印」(ほういん)ともいいます)が押されていて、各札所に着くたびに「かたびら」に朱印を押してもらっていたものと思われます。また、左右の部分が赤色に染められていますが、江戸時代の記録などを見ると巡礼者に両親が健在の場合は「左右を赤」、ひとり親の場合は「中央のみが赤」、両親ともいない場合は「すべて白」とする定めであったともあります。しかし、実例に照らすと、ある村の巡礼者がみな同じ色取りの「かたびら」を羽織っている場合もあって、必ずしも定めのとおりおこなわれていたわけではないようです。写真の資料もそうした事例に含まれるものであったかもしれません。
 西国三十三所巡礼とは、熊野三山(くまのさんざん)の一つ、那智山(なちさん)の青岸渡寺(せいがんとじ)を第1番札所として、和歌山・大阪・奈良・京都・滋賀・兵庫・岐阜の7府県に点在する33か所の観音霊場(かんのんれいじょう)を巡拝(じゅんぱい)するもので、わが国で最も古くに成立した巡礼行(じゅんれいぎょう)です。伝承によれば、奈良時代(およそ1300年前)に大和国(やまとのくに・現在の奈良県)の長谷寺(はせでら・奈良県桜井市)の開祖(かいそ)・徳道上人(とくどうしょうにん)が開いて、平安時代中期(10世紀末ごろ・およそ1000年前)に花山法皇(かざんほうおう・第65代天皇 永観(えいかん)2(984)年から寛和(かんな)2(986)年まで在位)が中興したとされていますが、その確実な成立は、平安時代末ごろ(12世紀・およそ900年前)のことと考えられています。
 当初は、僧侶や行者(ぎょうじゃ)などを中心とした西国巡礼は、室町時代中ごろ(15世紀・およそ600年前)から庶民へと広がって、江戸時代に札所の順番が定着したようです。最盛期の江戸時代には、年間2万人前後の巡礼者が全国から訪れたと推定されています。
 なお、江戸時代の西国三十三所巡礼は、それのみで行われることは一般的ではなく、多くの場合、伊勢参詣や京・大坂、名所・旧跡の見物などの物見遊山(ものみゆさん)とセットでおこなわれました。伊勢参詣のあとに西国巡礼に向かった人々は、伊勢の山田(現在の伊勢市)や田丸(現在の度会郡玉城町田丸)で「かたびら」をはじめとする巡礼道具を調え、第1番札所である那智の青岸渡寺へと向かいました。江戸時代の伊勢参詣者の人数は、年間40万人ほどと推定されていますので、単純計算でそのうちの20分の1程度の人々が西国巡礼へと歩を進めたといえそうです。
 西国巡礼最後の33番札所は、美濃国(みののくに・現在の岐阜県)の谷汲山華厳寺(たにぐみさんけごんじ・岐阜県揖斐郡揖斐川町(いびぐんいびがわちょう))ですが、このお寺には「笈摺堂(おいずるどう)」という建物があります。無事に巡礼を終えた巡礼者たちは、この「笈摺堂」にそれまでまとってきた「かたび・轣vを納めることになっていました。ここで巡礼のシンボルでもあった「かたびら」を脱ぐことで、巡礼の世界から俗世界(ぞくせかい)に戻ることも意味したものと思われます。しかし、「笈摺堂」に納めずに持ち帰ることも広くおこなわれていますので、時代や地域によってさまざまなやり方がおこなわれていたようで、写真の資料もそうした事例の一つといえそうです。   
(A)

かたびら2

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