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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 日本銀行兌換券(10円)

日本銀行兌換券(10円)

資料名 日本銀行兌換券(10円) 資料番号 3638
寸法  たて:81mm
 よこ:142mm
時代 昭和時代
解説 戦前の日本では、外国(特にヨーロッパやアメリカなどの主要国)と同じように金本位制(きんほんいせい・通貨の価値を一定量の金と同じとして、通貨と金の自由な交換を認めるしくみ。金を持っている量で紙幣の発行高が左右される)を採用していました。※
写真の紙幣は、昭和5(1930)年5月に発行された「日本銀行兌換券(にっぽんぎんこうだかんけん)」(丙十円券)です。「兌換紙幣」とは、金貨や銀貨と交換することができる紙幣のことです。この「丙十円券」の表面の肖像は、奈良時代の終わりから平安時代初めにかけて活躍した「和気清麻呂(わけのきよまろ)」が、裏面には和気清麻呂を祭神とする「護王神社(ごおうじんじゃ)」(京都市上京区)が採用されています。
そして、表面中央には

「此券引換に金貨拾圓相渡可申候
(このけんひきかえにきんかじゅうえんあいわたしもうすべくそうろう)
 拾圓
(じゅうえん)
 日本銀行」

と印刷されています。
つまり、「この10円紙幣を10円金貨と引き換えられます(10円金貨と同じ価値があります)」ということが明記されているのです。これは、現在、私たちが使っている紙幣と大きく異なる点です。たとえば、5000円札は、5000円の流通価値はありますが、5000円に相当する金貨と交換することはできません。(金貨や銀貨と交換できない紙幣を「不換(ふかん)紙幣」といいます)この違いは、どこからでているのでしょう。
実は、世界大恐慌の影響で昭和6(1931)年に金輸出が再禁止され、翌昭和7(1932)年に金の兌換を停止して、管理通貨制(中央銀行が持っている金の量とは関係なく、通貨の流通量を調整する制度)へと移行しているからです。
「証紙貼付日本銀行兌換券(しょうしてんぷにっぽんぎんこうだかんけん)」は、戦後復興期のインフレ抑制の緊急措置として昭和21(1946)年に金融緊急措置令(いわゆる「新円切り替え」)を実施した時に、新銀行券の製造が間に合わないことからいままで使用していた銀行券に「証紙」を貼ることで「新銀行券」と見なす措置がとられた時のものです。10月末までの時限措置だったことからあまり流通していないようです。

※ 明治4(1871)年に制定された「新貨条例(しんかじょうれい)」で金本位制を導入しました。しかし、金貨の流出が続いたことから銀本位制(ぎんほんいせい)へと変わっていきましたが、日清戦争(にっしんせんそう・明治27(1894)年から28(1895)年)後に金本位制へ復帰しています。ちなみに、明治30(1897)年に制定された「貨幣法」では、金0.75g=1円とされました。(FK)
 
日本銀行兌換券(10円)
日本銀行兌換券(10円)表
日本銀行兌換券(10円)裏
 
証紙貼付日本銀行兌換券(10円)
証紙貼付日本銀行兌換券(10円)表
証紙貼付日本銀行兌換券(10円)裏
兌換すると書かれた部分
「此券引換に金貨拾圓相渡可申候」
(「10円金貨と引き換えられる」という意味)
和気清麻呂(図案表)
和気清麻呂
証紙
貼付された証紙
護王神社(図案裏)
護王神社
ページID:000061447