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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 大軌・参急・関急電鐵沿線案内図

大軌・参急・関急電鐵沿線案内図

資料名 大軌・参急・関急電鐵沿線案内図
(だいき・さんきゅう・かんきゅうでんてつえんせんあんないず)
寸法     たて:390mm
    よこ:538mm

折りたたんだときは、
    たて:180mm
    よこ:98mm
時代 昭和時代
解説 近畿・東海地方の2府4県を結ぶ近畿日本鉄道(近鉄)は、営業距離582.3kmでJRを除くと国内最大の私鉄です。大正3(1914)年に上本町-奈良間を開業した大阪電気軌道が現在の近鉄の始まりです。その後、近畿地方の中小私鉄を合併。昭和19(1944)年に南海鉄道(現・南海電鉄)を合併して営業キロ数が600kmを超える日本最大の私鉄「近畿日本鉄道」ができました。昭和22(1947)年に旧南海鉄道が分離し、奈良電気鉄道や三重電気鉄道などが合併、鳥羽線や難波線の建設などで、現在の路線網がほぼ完成しました。写真の路線図には、現在の南大阪線が記載されていないので、大阪鉄道(現在の南大阪線などの前身の鉄道会社)を合併した昭和18(1943)年以前のものと思われます。現在の路線図と比較すると伊賀線が西名張駅まで営業していたり、鈴鹿線が伊勢神戸(いせかんべ・現在の鈴鹿市)駅までだったり、伊勢市駅が山田駅と呼ばれていたりと少し違うところがあります。大きな違いは、津と伊勢を結ぶ区間で平行する路線があることです。江戸橋駅から分岐して小野江や斎宮を通って大神宮前駅に至る区間は、伊勢電気鉄道が建設した区間です。昭和11(1936)年に参宮急行電鉄に合併して伊勢線と呼ばれていましたが、昭和36(1961)年までに全区間が廃止されています。そのほか、橿原線の平端(ひらはた)駅と法隆寺駅を、田原本線の新田原本駅(現在の西田原本駅)と大阪線の桜井駅を結ぶ区間もあったことや奈良電気鉄道と緊密な関係にあったこと、奈良線の大和西大寺駅と奈良駅の区間が現在とは異なっていることなどがわかります。(大和西大寺-奈良間のうち、油阪駅(現在は廃止)と奈良駅の間は、道路上を電車が走っていました。)
裏面は、運賃表や沿線の名所旧跡や行楽地、遊園地などを路線別に紹介しています。「伊勢大神宮」「神武天皇御陵」「橿原神宮」「熱田神宮」といった戦前の世相を感じさせるものから「あやめ池遊園地」「生駒山上遊園地」「恩智いちご園」「堅下ぶどう園」といったほのぼのとさせるものが見られます。(FK)  
大軌・参急・関急電鐵沿線案内図(地図)
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大軌・参急・関急電鐵沿線案内図(案内)
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