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伊勢みやげ名所画 (いせみやげめいしょが)

 

伊勢みやげ名所画

資料名   伊勢みやげ名所画
時  代  明治30(1897)年
資料番号  204
寸  法  たて:20.0センチ
      よこ:26.4センチ

解説

 今回紹介するのは、「伊勢みやげ」とタイトルのつけられた袋入りの風景版画集です。現在の伊勢市を中心に12枚の名所画が、石版印刷という技法により豊かな色調で仕上げられています。印刷されたのは、1897(明治30)年2月1日、発行は、その9日後の2月10日のことです。この技法は19世紀にヨーロッパで発明され、日本で盛んになるのは、ちょうど明治30年頃からといわれていますから、この伊勢みやげは、まさにその新しい技術を用いた先駆的な作品といえます。紙質は和紙で、サイズは縦20・0a、横26・4aとB5サイズより少し大きめです。描かれた風景は、伊勢神宮の内宮を一枚目として、外宮、大々神楽之図、宇治橋風景、勾玉池之景、二見浦之景、古市踊之図、宮川橋より山田町を望む、豊宮崎文庫之景、月夜見宮之景、津公園之景、阿漕平治塚之景の12枚を数え、専用の袋に刷られた神宮杉の木立から見える外宮の社殿とあわせて13の風景が楽しめるのですが、ここに一つの疑問があります。
 「伊勢みやげ」と題されたこれらの13の風景のうち、11までは、現在の伊勢市周辺の名所なのに、なぜ残る2ヶ所が現在の津市にある名所なのでしょうか。もちろん双方ともにかつては伊勢国だったから間違いではないのですが、不思議です。
この版画集が印刷された明治30(1897)年は、伊勢にとって大きな画期が訪れた年にあたります。鉄道の開通です。明治26(1893)年末に津・宮川間の営業を開始した参宮鉄道は、4年後の明治30(1897)年11月さらに宮川・山田(現在のJR伊勢市駅)間を延長しました。この版画集が印刷・発行された2月の時点では、まだ鉄道は宮川を越えてはいませんでしたが、少なくとも宮川左岸にあった宮川駅までは開通し、多くの旅人の足となっていました。版画のうち「宮川橋より山田町を望む」の絵に参宮鉄道が描かれていないのも、これでうなずけます。この津と伊勢を結んだ参宮鉄道を介して見れば、この版画集は起点と終点双方の名所を集録しているとは言えないでしょうか。伊勢の11の風景は、いずれも名所として、他の絵葉書などにも登場します。しかし、津の津公園(現在の偕楽公園)と阿漕平治塚の2ヶ所はなぜ選ばれたのでしょうか。津ならば日本三大観音と称された恵日山観音寺が最もふさわしく思いますが、参宮鉄道という観点で見れば、津公園も、阿漕平治塚も共に、参宮鉄道に最寄り駅があり、しかも津駅や阿漕駅というように駅名にその名前を冠しているのです。
 また、版画の袋の裏には、発売所と販売者名が記されていますが。発売所は伊勢国山田尾上町四十五番地の古島出張店(当時大阪で有名だった版元の古島竹次郎の支店)、そして販売者は、伊勢国山田岡本町の三共合資会社、山田浦口町の橋爪五兵衛、津西町の大竹武三郎の3名となっています。よく見ると発売所と販売者の2名は住所が現在の伊勢市ですが、販売者の1名は現在の津市が住所となっています。ここでも伊勢と津、両者との関係がうかがえます。確証はありませんが、この「伊勢みやげ」は、参宮鉄道を利用する客に起点と終点の名所の風景を彩色豊かな版画集として提供した土産であった可能性があります。読者の方々のご意見はいかがでしょうか。
今から見れば、それは単なる土産かも知れませんが、その背景には、鉄道網の整備や新しい印刷技術の導入など、近代国家への階段を駆け上る日本の、そして三重の姿が見え隠れしているようです。

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