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三重県総合博物館 > コレクション > スタッフのおすすめ > 羽子板(はごいた)

羽子板(はごいた)

資料名 羽子板(はごいた) 時 代 昭和初期
寸 法
(美人画)
全長45.3センチ
最大幅15.4センチ
柄幅2.8センチ
資料番号 165(美人画)
寸 法
(町火消)
全長41.8センチ
最大幅13.8センチ
柄幅2.8センチ
166(町火消)
解 説  晴れ着姿で羽根突きに興じる子どもたち‥‥。そんな正月の風景は、すでに伝説となってしまいましたが、正月と羽子突きの関係は、歳の瀬に立つ浅草寺(東京)の「羽子板市」の存在からも、とても深いものだったようです。
 羽根突きは、時期は判然としませんが、中国から伝えられたもののようです。我が国での最も古い記録は、『看聞御記』永享4(1432)年に記されたものです。「こきの子(羽根突きの別称)勝負」と表現されたこの催しは、殿上人や宮中の女官たちが男女に別れて対戦、負けた方が酒を振舞うというもので、正月5日に行われました。また、文安元(1444)年に編まれた国語辞典の『下学集』は、羽子板の読み方を「ハゴイタ・コギイタ」と紹介し、さらに羽子板の説明として「正月之を用いる」と記しています。このように、羽根突きは正月の行事として位置づけられていたようです。
 では、なぜ正月に羽根突きなのでしょうか。先述の『看聞御記』や『下学集』に記載された“こきの子”や“コギイタ”の「こぎ」とは、「胡鬼」を意味すると言われています。胡とは漢民族が恐れた北部や西部の異民族、特に遊牧民族を指しています。しばしば遊牧民族の侵入を受けた当時の中国の人々にとって、胡はまさに外の世界からやってくる厄介者だったのです。胡の人々にとっては迷惑な話ですが、外の世界からやってくる災いや病を胡鬼と表現し、それを突くことで災厄を回避しようとしたのです。“胡鬼突き”は、一年の始まりに幸せを願って行われる、祭事だったといっても過言ではないでしょう。
 また、天文13(1544)年に書かれた『世諺問答』には、幼い子どもが羽根突きをする理由について、子どもが蚊に刺されないためのお呪いだと記しています。羽子板の羽根の飛び交う様子が、蚊を捕獲するトンボの動きに似ているからだとされています。さらに羽根には、ムクロジの実が使われていたようですが、ここにも子どもの健康を願う人々の姿が窺がえます。ムクロジは、「無患子」と表記されます。つまり“患わ無い子”というわけです。
 さて、当館には、「押絵羽子板」に分類される、2点の羽子板(写真)を収蔵しています。押絵とは、表現する人物などを立体的に作る手法で、台紙に布を貼り付ける際に綿を入れて膨らみを持たせます。こうして作ったパーツを組み合わせて仕上げていきます。文化文政時代(19世紀初め頃)に完成された技法で、図柄は、美人画や藤娘などが多く、歌舞伎役者なども好んで作られたようです。
 館蔵資料の内、美人画は、図柄自身も羽根突きをしているかのように羽子板を持っています。裏面には、竹と梅が上下に図案化されています。町火消しは、その図柄自体が珍しく、大きく頭上に振り上げた右手に鳶口を持ち、左手は腰の辺りで梯子を抱えています。裏面は竹と月が肉筆で描かれています。ともに、押絵のパーツを張り合わせた際にできた隙間に小さな鈴が付けられていて、動かすたびに快い音色が響きます。
 とても大切に保管されていたようで、布の退色もほとんどありませんが、実際に羽根突きにも使用されたようです。裏面に残る羽根が当たった痕跡を眺めていると、羽根を突く音と子どもたちの笑い声が今にも聞こえてきそうです。(UK)

羽子板(表面)                                  羽子板(裏面)
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